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本郷4丁目の斎藤一終焉の地は今・・・ [新選組?]

とうとう藤田家跡地が破壊されてしまった[がく~(落胆した顔)]
かなり広い土地だったから、いつかは・・・と密かに恐れていたことが本当に起こってしまった[もうやだ~(悲しい顔)]14階建てのマンションかぁ~近くの建物に「建設反対!」の大きな幕が出ていたけれど、工事は進んでいるからどうしようもないんだろうな。
以前、近くにあった古い建物も無くなって、町の掲示板だけが同じ場所にありました。
囲いのすき間から覗いて見たら、土がえぐられていて、斎藤一さんが使ったままかもしれない三段くらいの石段がコンクリートになっていたのが跡形もない[もうやだ~(悲しい顔)]何もかも忘れられてしまうんだろうなぁ・・・。
ここはね、藤田五郎こと新選組三番隊長の斎藤一さんが、正座して亡くなった場所なんだぞ[ちっ(怒った顔)]
その夜、ホテルでうつらうつらしていたら、なんだか揺れてるような・・・地震??いや、ここは東京なんだから、熊本地震とは関係ない・・・って、本当に揺れてんじゃないの!!ガラケーの警報がビービー鳴り出して、茨城県が震源て、そんなのあり!?
散々な5月16日でしたよ、斎藤さん[わーい(嬉しい顔)]

藤田五郎さんの戦跡 [新選組?]

提げ佩く太刀の研きか鈍きか・・・あの歌を詠んだのはあの方だったのか。
どなたがどういう方なのか、わかってなくて”八重の桜”観ていました。佐川カンベエさまは死んじゃったし。島田カンベエじゃなくて板垣退助さんはもう出てこないんだろうなぁ。それはともかく、斎藤改め藤田五郎さんは”抜刀隊”に入っていたのか??田原坂でたくさんの福島県士族が亡くなっているけれど、藤田さんは熊本県じゃなくて、大分県の岡城を攻め落としたとかで新聞に載ったらしい。そして宮崎県でけがをして帰京した。
ドラマとして感動的だったから、細かいことはいいや[わーい(嬉しい顔)]
岡城って”荒城の月”の曲想になったそうで、歌詞は会津の鶴ヶ城を詠んでいるというつながりに斎藤さんが絡んでいるみたいで楽しい。勝手に喜んでろ[ちっ(怒った顔)]と叱られそう。

東京の、本郷の・・・ [新選組?]

ヨーロッパとアジアの架け橋、イスラム圏で初めてって、オリンピック開催に意義のある条件だなぁと思っていたら、国内で騒動が起こって、どこもそれぞれに大変だと知りました。でも、壊れた原発で陸も海も汚し続けている国の首都とどっちがマシなんだろう、総理大臣の力強いお言葉は初めて聞かされてびっくりしたくらいだし。
結果は本当にびっくりしました、おめでとうTOKYO[晴れ]7年後に陸も海もきれいになってなかったら恥だな。
でも、国内となると見に行きたくなります。ついでに本郷の元藤田家にも行ってみたい。
大河ドラマの斎藤さんと時尾さん、本当に会津のお殿様が結婚式に来て下さって良かったですねと言うか、実際は名前だけだったんじゃないか?と思います。ともかく、おめでとうございます[晴れ]
ドラマの舞台は京都になったから、もう出てこないかも。でも西南戦争で斎藤改め藤田さんが新聞に載るほど激しく戦うから、チラッとは紹介してくれるかも?
斎藤さんと新嶋さんがお酒を飲みながら談笑していた場面、新嶋さんが「私、9年前は斎藤一でした」なんて言い出しそうで楽しかった[わーい(嬉しい顔)]土方さんの最期の一日で新選組は終わりじゃなかったんですよね。ありがとうございます[晴れ]

再放送見たはずですが・・・ [新選組?]

日曜日の夜8:35頃、病院から電話。あ~ヤバイかもぉ・・・やっぱり、入院中の高齢者が危ないと。
金曜日に呼び出されて「明日までもつかどうかわかりません」と言われていたし、顔を見ても○○に片足突っ込んでるなぁと思ったけれど、静かな土曜日だったので、油断していました。
日曜日に洗濯物の確認に行って、タオル一枚だけだったけれど洗ってベランダに干してから3時間後。七夕の夜に逝ってしまうなんてオシャレかも。タオルがこんなに虚しく見えるものだとは知らなかった。
会津も危なくなっているけれど最後まで見られなかったので、再放送を見ていたら疲れが出ちゃって、ドラマの最後は記憶がはっきりしません[ふらふら]
八重さんや時尾さんの新しい人生はまだ始まらないようですね。斎藤さぁ~ん、元気ですかぁ!

会津が大変なことに [新選組?]

二本松少年隊、白虎隊、娘子隊、「女ばかり」の頼母さんの家族・・・悲劇が続くなぁ、大河ドラマ。
でも、やっと八重さんが主役になるんですね。
SAMURAI7のカンベエさまが出ていらしたけれど敵だし。「自由は死せず」とかおっしゃるのでしょうか??会津の官兵衛さんは、お殿様と並んで斎藤一さんと時尾さんの仲人になるはずだから戦い抜いて下さるんですよね。
斎藤さんたち、本当に恋愛結婚になりそうで楽しみです。お茶の水女子大を作られる方はどなたでしたっけ???
秋篠宮妃のご先祖が会津藩士と聞いたことがあったような。悠仁くんが学習院に行かないで、お茶の水附属に入学した理由はそれだろうか???

新選組は終わらない!? [新選組?]

『八重の桜』、会津の悲惨な戦いが近付いて来て悲しい気分です。
それにしても、時尾さんが八重さんのお友達だったためか、新選組の中でも斎藤一さんにスポットライトが当てられているようなのが楽しいです[わーい(嬉しい顔)]
「菩薩のような方であろうなぁ」という、るろうに剣心さんのお言葉が思い出されて、もっと楽しい[るんるん]でも、私は斎藤さんより剣心さんが妻帯者だったのに驚いたぞ!しかも15歳で!!あぁ史実と架空の話がごちゃまぜになってるぅ。
会津のお殿様が仲人をされたという、身に余る光栄のご結婚。斎藤さんの働きはハンパじゃないと思うけれど、大河ドラマでは、ご褒美というより恋愛結婚じゃないかと妄想しています。会津戦争の後、斎藤さんがスパイ的な働きをしていた(?)時に、やそさんという妻がいて、一人で東京に行っちゃって時尾さんと結婚しているそうだけれど、この謎の女性と時尾さんが微妙に共通していたという研究があるようです。どうせ分かっていないんだから楽しく作って欲しいです[わーい(嬉しい顔)]
あ!お殿様は映画『るろ剣』の外印さんだ!!勝手に楽しんでいます[るんるん]

新選組でした! [新選組?]

『龍馬伝』やっぱり新選組でした!それも、近藤・土方・沖田の三大スターらしい。
以蔵さん捕まってしまったけれど、あのとき龍馬さんに助けてもらえなかったら、近藤さんたちは斬ってただろうなぁ。人斬り以蔵って、貧困の中で育って人付き合いが下手で、野獣のように斬殺したと伝えられているそうで、佐藤健さんはそのように演じようかと考えたそうですが、台本どおりの、仲間との付き合いも上手くいっていて、暗殺を悩む青年にしたそうです。だから余計に哀れだなぁ。・・・ハンペータぁぁ・・・。
それにしても、下士の境遇ってどこまで事実なんだろう?初めのころの、公道で上士の気分次第で斬り殺してもおとがめ無しなんて、土佐藩は無法地帯だとしか思えない。ほんとかよ!?あれでよく幕末までもったなぁと感心してしまう。
最近のテレビって、ニュースと天気予報と『龍馬伝』だけ見てる気がする。ほかはつけてても見てないや。

新選組ですか! [新選組?]

『龍馬伝』で以蔵さんを追い詰めていたのは新選組ですか!
2004年の『新選組!』のときは龍馬さんの口から語られるだけで、一度も顔を合わせていなかったのに、ドラマっておもしろいな。羽織の浅黄色も、色々ある中でハイビジョンで一番映える色にしたとかで、目の覚めるようなブルーでしたが、今回は地味。色がついているのかどうか安上がりだったんでしょうか?平均年齢も高めのような??誰が誰やら、イ・ビョン・・・じゃなくて、原田泰造さんが近藤さんらしい。あぁワールドカップが始まるなぁ。バーレーンの国旗が誠の旗みたいでワクワクしたっけ。今回は旗もデザインが違ってる。ドラマのたびに変えなきゃいけないんだろうか?
ハンペータ悲しすぎました[もうやだ~(悲しい顔)]ドッペルゲンガーを出す力はもう無いんだろうなぁ。

サムライは撫で肩だ! [新選組?]

たぶん、いろんな所に転載されている武田鉄矢さんのお話。パクらせていただきます。
坂本龍馬さんの写真を見て、オヤッ!と思うのは、すごい撫で肩だということだそうです。・・・え?そうだったかな。武田さんがおっしゃるんだから間違い無いんだろう。剣を抜くときに、一番力が入りやすいのが両肩なので、攻撃準備を相手に悟られないためには、両肩の力を抜くことが大事だという訳らしい。武士の修行は、徹底した脱力技術の会得に費やされたのだそうです。
土方歳三さんを演じた山本耕史さんにこの話をしたら、「それで合点がいきました!」とおっしゃったとか。土方さんの写真を寸分違わず山本さんで再現しようとしたら、どうしても両肩のラインだけがうまく重ならない。土方さんのポーズに合わせると怒り肩になって、静かな肩に重ならないのだそうです。その謎がやっと解けたと、山本さんは嬉しそうだったとか。
幕末では対極の剣客二人が、撫で肩が共通点だったとは!と武田さんは書かれています。流派は違っても剣の道を突き進んだら、到達点は同じなんだろうなぁ。そこまで没頭できるものが欲しい!

勘違い、日野編 [新選組?]

東京で第一か第三日曜日だったら、日野市の土方歳三資料館へ行かないわけにはいきません。
いままでは開館時間まで門の外で待っていたのに、12時前にどうしようもなくお腹がすいてきたので食事を済ませて行きました。・・・門の前は黒山の人だかり。え!何か事故とかじゃないでしょうね?
正体は団体さんでした。どういう方々でしょうか、割と高齢の男女の皆さん。出入り口を完全にふさいで記念撮影が始まりそうなので、遠慮して待つ事にしましたが、皆さん和気あいあいとしてなかなかシャッターをきりそうにないので、失礼して強引にはいりました。
土方さんの胸像が出迎えてくれますが、知らないで見たらベートーベンだと思うなぁ。明治政府を警戒して、燃やしたり井戸に投げ捨てたりして、数少なくなったというゆかりの品々、それでもよく遺して下さいましたとお礼を申し上げたいです。謙信さんがちっちゃい景勝さんに書いてあげた「イロハ」の字を女性的と感じましたが、土方さんの字も滑らかで、あまり豪快な感じはしないもんなぁ。それでも強烈なのは刀の柄の握りあと。本当に生きて戦っていたんだと思い知らされます。そして、五稜郭明渡し直前に書かれたらしい、土方さんの死を伝える殴り書きのような手紙。命がけで歴史の真っ只中に居たんだとヒシヒシと感じられます。
立て直す前の生家の模型が展示してありますが、同じ位置に建てられたと言われてもなんだか違ってるみたいな気がしてたんだけれど、今回お墓参りに行こうと思って、今までと反対方向へ歩いて行って納得しました。お隣の土方さんちに生家の長屋門が残されています。屋根が瓦葺きになっていましたが、ここを歳三さんが何度も通ったんだと思うと大感激でした!たぶん私以外にも気が付いていない人がいると思うなぁ。
そしてお墓参り。案内図が用意してあって、お寺にはたどり着けたんだけれど、縁もゆかりもないお寺に勝手に入って良いんだろうか??入り口で手を合わせて帰りました。カメラを持った男性がスタスタ入っていったので、ついて行こうかと思ったけれど遠慮してしまいました。さらに女性二人とすれ違ったので、あの人達もお墓参りだろうなと思いましたが・・・止めときました。この次には・・・行けるかな??上杉家のお墓も大丈夫だろうか?
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